ノーと言うには勇気がいる【人生の課題】

コラム

 

  • いやです
  • これは要りません
  • 必要ないです

 

ノーと言うには勇気がいる。

 

根底には、「それを言ったことで、相手から嫌われるのではないだろうか」と思ってしまう自分の気持ちである。

 

 

かくいう私も、長年ノーが言えない性格だった。正直に言えば、今もまだ、100%は言えない。

特に幼少期から独身時代までは、本当にノーが言えなかった。

 

幼少期は、小学5年生から不登校だった。

不登校、イコール家族に迷惑をかけている。

 

そんな私が自分の意見など言ってはいけないと思っていたのだ。

だから、自分の意見を隠し始めた。

 

嫌なことがあってもなるべく肯定するように、嫌だなぁと思っても他人を想ってイエスと言う。

 

傷つくなら自分にしてほしかった。

私がイエスと言うことで、相手を傷つけずに済むのなら。

ノーが言えないと

 

ノーが言えない期間が長くなればなるほど、溜まる。

抑え込む自分の負が、貯蓄されてゆく。

 

貯蓄されると、どうなるか。

 

爆発するのだ。

 

ノーを溜めて溜めて、そして何らかの形で爆発してしまう。

 

爆発とは、急に泣き出したり、お菓子を爆食いしたり、家出したり。家族に当たることもあった。

 

それでも、ノーを辞めることはできなかった。

大人の方が言えない

 

ノーと言わないことが習慣化され、「大人」と呼ばれる立場になってもそれは続いた。

 

というより、ノーと言えない機会が増えた。

 

仕事では、頼まれたら断れない。

誘われたら、断れない。

お願い、と言われたら引き受けてしまう。自分の力量を理解せずに。

 

そして大人になっても爆発は続いた。

仕事帰りに大泣きしたり、爆発の内容は小学生の頃から変わらない。

 

ノーと言わなきゃ、と思うたびに、ノーしか言えない自分に落ち込むのだった。

それ以外の自分を知らないから。

小さなきっかけ

 

変わったきっかけは、1冊の本。

それがこちら。

 書いてあることは、「ノーと言うには、猛烈なイエスを持つこと」だった。

 

猛烈なイエスとは、私にとっては我が子だった。

 

子供を守るため、子供の心身の健康のためになるものは、イエス。

もしそれを阻害するのなら、ノー。

 

衝撃が走った。

子供をノーで守る

 

子供は良いものと悪いものの区別がつかない。

大量のお菓子も良いと思ってしまうし、赤信号で渡ることも、何が悪いのか分からない。

 

鼻水が垂れている時にアイスクリームを食べることも、風邪ひいている時にプールに入ることも、何が悪いのかわからないだろう。

 

でも親なら、分かる。

子供を守るためなら、ノーが言えるようになった。

 

だけど最近、ノーと言えなかった経験がある。

 

実家へ行った時、長男のお昼寝中に母がクーラーをつけてくれた。

長男が暑そうにしていた、と母は言っていた。

 

だけど設定温度が低すぎて、私には寒いと感じた。

長男はすぐ起きた。

 

長男の鼻からは、鼻水が。

身体も少し冷たい。

 

拍車をかけるように、母はおやつに、アイスクリームを出そうとした。

 

長男はアイスクリームが大好き。

でも、寒そうにしている。鼻水も出ている。

 

私は、ノーと言えなかった。

 

長男はアイスクリームを食べて、次の日に風邪を引いた。

 

あぁ、私のせいだ。

私がノーと言わなかったせいに。

 

熱で苦しそうな息子の寝顔を見ながら、ごめんねと何度も謝った(今はすっかり元気)。

ノーを言う練習

 

最初は、伝え方はなんでもいいと思っている。

断り慣れていないから、とりあえず断ってみる経験が必要だ。

  • 結構です
  • ちょっと、嫌かなー
  • あ、いや‥。

 

要は、断ればいいのだ。

手段は選ばずとも、嫌なことに対して断る行為を経験するのが大切だと思う。

 

人を傷つけることもあるかもしれないし、思い描いていた断り方や反応が返ってこない時もある。

 

でも、断ることに慣れていないなら仕方ない。

 

断る行為自体に慣れていきたい。

毎日続ける

 

嫌なこと、断りたいことが1日中ひとつもない、なんてことはないだろう。

毎日ひとつはある。

 

クリスマスの日も、誕生日の日も、お正月だって、気にするほどでもない程度の、些細ないやなことはあるだろう。

 

それに対して、毎日ひとつ、嫌、と言う努力を積み重ねるのだ。

 

人は明日から急に別人になれない。

今日決意したことも、明日になれば忘れているかもしれない。振り出しに戻っているかもしれない。

 

決意のように掲げるものではない。

毎日、目の前のことに集中するのだ。

 

明日のことなんて考えなくていい。

今日、今この瞬間、目の前で起きている断りたいことに、嫌と言うのだ。

完璧になる必要はない

 

全てのことにいやと言う必要はない。

完璧は求めなくていいと思う。

 

毎日ひとつで十分なのだ。

 

目標は、小さければ小さいほどいい。

赤ちゃんの踏み台くらいのスモールステップでいいのだ。

 

目標は達成するだけではいけない。

毎日達成し続けることが大切だと思う。

 

そのためには、毎日どんな日も、乗り越えられるような小さな目標がいいのだ。

 

毎日同じ日なんてないように、気分も予定もその日によって違うはず。

 

そんなブレにも難なく対応できるくらい、小さな目標。

 

毎日ひとつが習慣になってしまえば、目標を足せばいい。ちょっとハードル上げてもいいかもしれない。

 

最初は、小さな小さなスモールステップから。

まぁいいや精神

 

もしかしたら、目標の毎日ひとつすら達成できない日があると思う。

 

ここで重要なのが、

自分を責めてはいけない

ノーと言えなくても、だ。

 

日々無数の【断りたいこと】が目の前にやってくる。

断ろうと決意しても、今までの【イエス習慣】が邪魔をするだろう。

 

言えなかった。

ノーと伝えられなかった。

 

自己嫌悪に陥るかもしれない。

 

だけど覚えてほしい。

 

既にあなたは変わる努力をしているのだ。

 

努力してる時点で、自分との問題に向き合っている。すごい。

 

そんなこと、誰でもできるわけないよ。

 

結果的に、ノーと言えなくても、言う努力をしたならば、それは自分を褒めよう。

まとめ

私も含め、ノーと言えない人はすごく多い。

けど、ノーと言わないのか言えないのかなんて、他人からは分からない。

 

ここまで読んでくれたからといって、今から人生が変わるわけではない。

この記事を読んだからといって、今からノーと言えるようになるわけでもない。

 

だけどひとつ言えるのは、ノーと言いたかった自分の心に、少し肯定してあげられるようになったなら、私はとても嬉しい。

 

私もまだ道半ば。

 

ノーが言えなくて苦しくなる日もたくさんある。

 

でも、ノーと言う努力はしてる。喉まで出てくる時もある。言えた日もある。

 

そうやって少しずつ、自分の気持ちに素直になればいい。

一歩ずつ、ゆっくり生きたい。

 

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