「子煩悩な父親」はよく聞くけど、子煩悩な母親って言わないのはなぜ?
そんな疑問がわいた。
子煩悩の父親はよく聞くけど、「子煩悩の母親」は聞いたことがない。
母親は子煩悩であることが当たり前なのか。
イクメンという言葉もしかり。
イクウーマンなんて聞いたことない。
母親は育児ができて当たり前なのか。
令和でも男尊女卑
父親は少しでも育児に参加すれば、周りが賞賛してくれる。
母はいくら頑張っても、デフォルトとして処理される。
父親はおむつを替えただけで「イクメン」と褒められる。
母親は1日に12回替えようが、「イクウーマン」などと褒められることは一切ない。
父親は子供を泣き止ませたら賞賛の嵐。
母親は泣き止ませることができないのなら、「母性が足りない」などと言われかねない。
母親は頑張るのが当たり前、子供のために生きて当たり前。
自分の時間なんてとれやしない。それが当たり前。
言葉のクサリ
- 当然
- 当たり前
- デフォルト
- できて当たり前。
そんな言葉の鎖が、母親を苦しめているのではないか。
ちょっと経験談
私は2人の子供がいる。長男と次男。
長男が産まれた時、産後うつになった。
原因はいくつかあるけど、「産んだ瞬間から愛情たっぷりな母」なれないことへのギャップにも、すごく悩んだ。
あれ、疲れたって言ってはいけない?
我が子が最優先?
自分の時間は?
自分は、後回しにしないといけない?
我が子も可愛いけど、自分も可愛いはずなのに。
自分を大切にしてはいけない気がする。
要は、子を産んだからと言って、その瞬間から子煩悩になれなかったのだ。
情けなさと途方に暮れる思いとは裏腹に、
待ったなしで泣く我が子を、ほぼないに等しい知識と経験で、暗闇の中を這いつくばるようにして子育てをしていた。
母性?皆無だった。
母親という同調圧力
産んだからと言って、すぐ母性が働くわけではない。
母親になったからと言って、急に育児が得意になるわけでもない。
夫婦に大きな育児の差なんてない。
母親も、初心者マークから始まるのだ。
それでも【母親は育児ができて当たり前】【産んだ瞬間からデフォルトの子煩悩】の風潮が消えないのは、社会全体の暗黙の了解だろう。
未だ根強く残る、男尊女卑とも言える。
従わなければ、私は母親失格。
そのくらいに思えてしまう同調圧力。
できなければ風当たりが強くなってしまう。
親戚関係にすらヒビが入ってしまう、そんな危機感。
自分の価値観でも意見でもないのに、周りの目が気になって、母親たちは【できる風】【母性ある風】に振る舞ってしまうのだ。
酷なこと。
母親だって褒められたい
母親も、最初からなんでもできるわけがない。
母親は毎日毎分、子供のことで悩んでいる。
もし父親との差があるのだとしたら、それはは、打った球の数だろう。母数の違いに過ぎない。
悩んで悩んであれこれ試して、我が子にはこれではない、あれではないと試行錯誤の数の差。
失敗の数の差だ。
これは単純に、子供といる時間に比例する。
それをあたかも、最初からできていたかのようにデフォルト化はしたくない。
たくさんの失敗の上に、子供との深い絆が生まれるのだと思う。
昨日できなかったことが今日できたのなら、父親と一緒で子煩悩と賞賛されたい。
イクウーマンとか呼び名はなんでもいいから褒められたい。
子供をたくさん愛したなら、子煩悩な母親と言われたみたいものだ。
母親も、褒められたいのだ。
当たり前なんて、絶対思わないでほしい。
世界中のお母さんへ
母親の皆さん、いつもお疲れ様です。
本当にお疲れ様です。
褒められもせず、涙をこらえて頑張るあなたは、本当に強い。
優しくて強い。こんなに子供のために頑張る人は、そうそういない。
自分のことだけは絶対に嫌いにならないで。
たまには褒められたい。
たまには、いつもありがとうと言われたい。
でも残念ながら、周りは変えられないのだ。
変えることができるのは自分だけ。
自分に伝えよう。
私はは正真正銘の、【子煩悩な母親】だ。
自信を持って、胸張って、子煩悩ママとして、これからも育児頑張っていこう。
…
と、ワンオペ育児に疲れ果てて20分間だけ主人からひとりの時間をもらって涙流しながら自戒としてこの記事を書いている現場からは以上です。
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